テレジン通信:2013年7月
2013年7月27日(土)テレジンを語りつぐ会:石巻荻浜小学校訪問によせて
2013.07.23
あの東日本を襲った地震・津波、そして原発事故から、2年と4か月が過ぎました。その被害の大きさ、失われたもの多さ、そして、今も消えることない悲しみ、家に戻ることも、仕事にもどることもできない苛立たしさ……それらは、もっともっと語られなければならないはずなのに、ともすれば、記憶は薄れつつあるのが現実です。
私たち『テレジンを語りつぐ会』は、一昨年、被災から4か月たった宮城県石巻私立荻浜小学校を訪ねました。
テレジンの子どもたちは、第二次世界大戦当時、ナチスの収容所で命を絶たれました。子どもたちは、死の直前まで、フリードル・ディッカーという一人の画家の「希望を捨ててはいけない」「今日はどんなにつらくても、きっと明日はいい日になる」という語りかけに励まされて、美しい絵を描き、明日への夢を持ち続けていました。私たちは、このテレジンの子どもたちの絵の展覧会を開き、事実を語ることで、子どもの生きる力のすごさ、子どもに希望を持たせる大人の知恵と勇気を、伝え続けていました。
一昨年、2011年7月22日、このテレジンの活動に賛同してくださった、仙台在住の画家・前田優光さんが、<石巻のフリードル>になってくださいました。
テレジンの仲間たちからのたくさんの寄付で、画用紙やクレヨン・色鉛筆を用意して、荻浜小学校を訪ねたのです。この活動を知った宇宙フォーラムの協力で、この日に描いた子どもたちの絵は、国際宇宙ステーション「きぼう」へ打ち上げられました。宇宙ステーションは、世界中から明るく輝く星として、肉眼で見ることができます。
実は、その時、ちょうどテレジンの子どもたちの絵の展覧会を見ていた、北九州市・福岡市の小学校の子どもたちが、自分たちの好きだった本を持ち寄り、一人ひとりが、荻浜小学校の子どもたちへのメッセージを付けてプレゼントしてくれました。
今年8月、その写真も宇宙ステーションヘ届けられます。
私たちは、今も、被災地の子どもたちのこと忘れていません。いつも、どうしているかと思い、心から応援しています。被災地すべてに行くほどの力はありません。今年も、荻浜小学校にさせていただきます。生徒の数が減ってしまい、来春には統合される予定とか。私たちは、地域の大人たちが、被災直後から何よりも先に小学校の片付けに協力し、授業を再開し、みんなで子どもたちを励ましていた事実を知っています。
地元の中心となる洞仙寺は、津波に流されましたが、みんなの集まれる場所をと、仮本堂を建てました。
今年、私たちは、そこで地元の皆さん、子どもたちと再会したいと思います。
一昨年、私たちは『手をつなごう! テレジン~荻浜小~北九州』という報告アルバムを作りました。北九州の子どもたちは、今も、見たことのない荻浜の海がいつも穏やかに美しい姿でいるよういのり、子どもたちが元気でいてくれるよう願っています。
私たち仲間は、いつも、荻浜を懐かしく思い出しています。一昨年訪れた時の感動を忘れてはいません……それを、伝えたいと思っています。
私は、これまでに、テレジンにいた子どもたちのうち、幸運にも生きて平和な日を迎えた方、6人にお会いしています。
そのうちの4人の方は、プラハでのコンサート上演の時、見に来てくださいました。(ヘルガさんとラーヤさんの二人はプラハ在住ですが、あとの二人は、アメリカからと、イスラエルから、わざわざ来てくださったのです。
彼女たちが、お会いするたびに私に「ありがとう」と言ってくださるのは、自分たちのことを忘れずにいてくれることに感謝するというのです。本当は、忘れてしまいたい記憶だけど、語っておかなければなくなってしまう……だから語ってくれたことなのです。
それなのに、聞いた、知った人たちが忘れてしまったら……。「いつも自分たちのこと、忘れずにいてくれて、ありがとう」と言ってくれるのです。
私は、東日本の被災地の方を考えるとき、いつも、このことを思い出します。
大きなことはできないけれど、忘れてはいませんよと伝えなければならないと思うのです。テレジンを知った私たち、テレジンを知ってくれた子どもたち、みんなで、荻浜の方たち、子どもたちに、それを伝えに行きます。
≪2013年7月27日(土) 石巻荻浜小学校訪問≫
■テレジンを語りつぐ会:代表・野村 路子/佐藤 恵子
■協力者:画家・前田 優光/歌手・須田 賢一
- 洞仙寺に、東日本の犠牲者の冥福と復興を祈って、京都の仏師・今村宗圓氏が作った「お地蔵様」埼玉在住の切り絵作家・冗快氏の仏画「大髄求菩薩」、画家・前田優光さんが描いた、荻浜ゆかりの支倉常長を描いた絵を贈ります。
- 荻浜小学校の子どもたちに、画用紙とクレヨン、本を贈ります。また、一緒に絵を描きましょう。
- みんな一緒に、宇宙ステーションに打ち上げた絵のレプリカを見ましょう。
- 仙台在住のシャンソン歌手ムッシュ・ケン、須田賢一さんがすてきな歌声をプレゼントします。皆さんと一緒に歌うことも。
【ご協力のお願い~テレジンを語りつぐために~】 昨年、さいたま文学館で開催された「埼玉文芸 春の集い」に伺った折、野村路子さんの『生きる力』という講演&ミニ・コンサートを拝聴しました。第二次世界大戦のさなか、アウシュヴィッツへと続く道のひとつにあったテレジン収容所のこと、そこに暮らした人々と子どもたち。テレジン収容所の子どもたちのほとんどはアウシュヴィッツへと送られていき、短い人生を終えました。
野村路子さんが代表を務める<テレジンを語りつぐ会>は、テレジン収容所の子たちの描いた絵と詩を日本にいる私たちに紹介する活動を続けています。カラフルなエンピツで描かれた絵もあれば、想像するだに恐ろしい絞首刑の様子を描いたもの、遊園地に行った日の楽しかった思い出を描いたもの…。これらのコレクションには、子供たちの「思い」が赤裸々に表現されています。詩には<テレジンを語りつぐ会>によって曲がつけられ、一層胸に迫る作品となっていました。私は、それら奇跡のコレクションから、耐えがたい収容所暮らしの中で子どもたちが、絵を描き詩を創くることで生きる意味や希望を模索していたことを知りました。 テレジンを語りつぐ会・協力:石田 えり子
[お問い合せ] teresien.japan@gmail.com 代表:野村路子
[お振込み先] みずほ銀行 大宮支店 普通口座 1840746 |
9・11とテレジンのコンサート
9月11日、赤坂「NOVEMBER 11」で、今年2回目の『テレジン もう蝶々はいない』を上演します。ぜひ、この日に、このコンサートを多くの方に見ていただきたい…と思います。
中村ヨシミツさんから、「9・11は忘れられない日だから、その日にやりましょうよ」とお電話があったとき、ああ、あれからもう12年もの年月が過ぎてしまったのだと、時間の経過の速さにあらためて驚き、同時に記憶の風化について考え、やりましょう! やらなければいけないのですよね!とお返事したくなったのでした。
これまで、20年以上も『テレジン収容所の幼い画家たち展』を開催し、テレジンの事実を伝える仕事を続けていましたが、8月開催希望がいちばん多かったのです。8月は鎮魂の月、平和を考える月、という思いがあったのだと思います。私自身も、8月の沖縄、広島、長崎でお話をしていました。もっと生きていたかった子どもたちの命を理不尽に奪った戦争、今を生きる私たちは、犠牲になった方々の分まで一生懸命に生きなければならないのだと。
写真:12年前、2001年のプラハのアメリカ大使館前。国旗が反旗になってなって、多くの人が花やキャンドルをもって集まっていた。(画像をクリックすると拡大でご覧いただけます)
あの12年前の9月11日、私たちはプラハにいました。
コンサートの仲間、中村ヨシミツ、西山琴恵、三原ミユキ、朗読の丸山詠二、ヴァイオリンの平松加奈、九州公演では朗読で参加していた梶原元美、音響の加登谷正和、通訳で参加した娘の今井亜紀、そして、ボランティアで駆けつけてくれたヨシミツさんの息子・中村直介、甥の梶浦裕高……総勢11人で、初めての海外コンサートに出向いていたのでした。
その前の年、何度目かのテレジンで、市長さんとお会いし、その折に、日本ではコンサートも開いているとお話ししたところ、「ぜひ、ここでやってください」という申し出を受けたのです。そのことをお伝えした在チェコ日本大使館から、「テレジンでやるのなら、プラハででも」と言っていただき、思いがけず、プラハ日本大使館と、テレジン市コンサート・ホールの公演が決まったのでした。そして、多くの方の協力を得て、プラハに着いたのが、その日だったのです。
写真:チェコの雑誌に、テレジンのコンサートのことが載りました。「Terezinー motyli tu jiz nejsou」は、「テレジン もう蝶々はいない」。下の写真は、集まってくださったテレジンの「子どもたち」 と、中村ヨシミツ、野村路子(画像をクリックすると拡大でご覧いただけます)
ホテルに着いてチェックインをする時から、テレビの画面の異様さ、周りにいる方たちの反応が気にはなったのですが、チェコ語では全く分からず、結局、お部屋に入って、テレビでCNNニュースを見ることができてはじめて、ニューヨークのあの事件を知ったのでした。
50年以上も前の、あの戦争のさなかに行われていたホロコーストの事実を伝え、戦争や人種差別が多くの命を断つことの愚かさ、命の尊さ、生きていることの素晴らしさを伝えるためのコンサートをしようと日本からプラハへ行った私たちは、そこで、またも、同じような愚かな行為から多くの命が奪われたことを知ったのでした。
私たちは、「テレジンは過去のことではありません」と伝え続けてきました。愚かな行為の生む悲劇の中でも、輝く命が、愛に満ちた行動が、勇気が、そして子どもたちの無限の可能性が、確かなものとして見え、残り、今を生きる私たちに多くのことを教えてくれるのだと。
写真:12年前、2001年のラハ、バーツラフ広場につくられた、ニューヨークの犠牲者への慰霊の場。「テロの犠牲者のために」という文字がある。(画像をクリックすると拡大でご覧いただけます)
最近、日本では悲しいニュースが続いています。いじめ、それを苦にした自殺、友だちを殺したという少女、見知らぬ幼女を殴った男……。
もう一度、私たちは考えます。命の尊さ、大切さ。生きていることの素晴らしさ……。
9・11、この鎮魂の日に、一緒に考えてください。テレジンの子どもたちの命のメッセージに耳を傾けてください。赤坂でご一緒できることをお待ちしています。
2013年7月22日 テレジンを語りつぐ会代表 野村 路子
■9月11日(水):歌と朗読によるコンサート「テレジン もう蝶々はいない」 詳細情報