テレジンの子どもたちとクリスマス
テレジンの子どもたちの描いた絵の中には、クリスマスの様子を描いたものも多くあります。
はじめてテレジンの展覧会を企画しているという記事が新聞に載ったとき、一枚の葉書が新聞社に届きました。
「ユダヤ人はクリスマスを祝いません。そんな基本的なことも知らずにユダヤ人の子どもの絵の展覧会をするのか」
という激しいものでした。
私は、実際にプラハのユダヤ博物館で子どもたちの絵を見せていただき、そこにあった学校、遊園地、街の風景などの絵と同じように、クリスマス・ツリーの絵のことを話したのでした。
私は、ユダヤ教では、12月にハヌカ祭をすることは知っていました。でも、子どもたちはクリスマスの絵を描いていたのですよ、と伝えたかったのですが。
私は、その相手に、そのことを手紙で応えました。その後は何も連絡はなかったのですが、そのときから、私は、テレジンについて語ったり、書いたりするときに“自分の目で見たこと、自分の耳で聞いたことだけを書こう”と心に決めたのです。
その直後に、生き残った“子どもたち”から話を聞くようになって、チェコ、とくにプラハに住んでいたユダヤ人の中には、チェコ人の生活に同化し、キリスト教に改宗していなくても、食事も生活習慣もほとんでチェコ人と同じだったという家族が多いことも知りました。
過去の出来事を語るとき、何かの本で読んだ知識、聞きかじった話などで先入観を持ってしまったら、真実が見えなくなる・・・真実を、その証人たちから聞いたままに伝えるのが、ノンフィクション作家としての姿勢だと信じて、今日まで仕事を続けてきた、そのきっかけとなる絵です。この絵を描いたエヴァもネリーも、アウシュヴィッツで命を断たれました。
2012.12.25 野村路子