2011年プラハ訪問レポート
第1回:ディタ・クラウスに会いにプラハへ
3月11日のあの地震の翌日、イスラエルのディタ・クラウスから「大丈夫ですか、日本の地震・津波のニュースを見てとても心配しています」というメールが届きました。彼女とは、もう何年も会っていないのです。毎年「今年は会いたい」「来るのを待っています」などとメールをもらい、私も「会いたいですね」「今年は行きたいと思っている」と返事を出しながら、なかなかイスラエルへ行くことができませんでした。ところが、今年になって「イスラエルへ来ることが大変なら、春にプラハへ行くから、プラハで会おう」というメールが来たのでした。 詳細を見る
第2回:プラハでの再会
懐かしいディタにプラハで再会し、テレジン時代のこと、フリードル・ディッカーの思い出などを聞きました。1929年生まれのディタは82歳、元気で若々しく活動的ですが、耳が遠くなって補聴器が必要になったとか。正直なところ、記憶も少々不鮮明になっているのか、以前聞いた話と違っていたり……。聞いた話は、次の本の中で生かして行きたいと思っています。新しい出逢いもありました。ディタがテレジンの子どもたちの絵の調査、研究をしているイヴォナを紹介してくれたのです。フリードルの教育法について、また一つ新しい発見を追加することができそうです。 詳細を見る