現在、わたしたちはホロコースト生存者が地上から完全に消え去る前の、最後の10年に生きている。悲劇を実体験として知る人は不在となりつつあるが、逆にアウシュヴィッツの表象はますます社会に溢れるようになった。歴史博物館、記念碑、小説、映画、インターネットなどを通して、ホロコーストにいつでもどこでも触れることが可能となっている。こうした中、実際にはホロコーストを体験していない人が、さまざまな媒体を通してホロコーストを「追体験」することで、その記憶を自らのものとして獲得し、内面化してゆくという状況が生まれている。
こうした場所に生成する記憶を、英文学者マリアンネ・ヒルシュは「ポストメモリー」、つまり、記憶の後に来るもの、もしくは《後付けの記憶》と呼んだ。ポストメモリーは本来、ホロコースト生存者の子や孫(ホロコースト第二世代、三世代)が、トラウマを抱えた家族との困難な関係を生きる中で、迫害体験を繰り返し聞かされることで生まれるものとされてきた。
ところが、アウシュヴィッツの表象が氾濫する現在の欧米社会においては、むしろ公空間にポストメモリーが生成しつつあるように思われる。アウシュヴィッツが「世間一般」の記憶とされることの問題性とは何か、そこに介在する政治とは何か、考える。